替え玉受験で年収1億円からどん底に!なべやかん一家の悲劇とは?
替え玉受験とは、その名の通り、受験者本人に代わって代理人が受験するということです。
1991年の明治大学受験で、なべやかんさんが替え玉受験を行ったことが世間を騒がせました。
「しくじり先生」という番組で、本人がその背景とともに真相を語っていたので紹介していきます。
なぜ替え玉受験を行ったのか?
なべやかんさんの父親はなべおさむさんという方で、当時『シャボン玉ホリデー』という番組をはじめ、レギュラー番組を5本もっていた人気コメディアンだったようです。
年収も1億円近くあったそうです。
ただし仕事中心で、家庭をあまり顧みなかったようです。一方のなべやかんさん本人は勉強が嫌いで、「勉強しなさい!」と言われても、屁理屈で逃げる性格だったとのこと。
その結果、せっかくエスカレーター式の学校に入っても、留年・浪人を経験することに。
父親は家族から恐れられる存在で、なべやかんさんも、父親から怒られるのがすごく怖かったようで、父親を避けるような行動をとっていたそうです。
このような状況で、父親のなべおさむさんは、息子が落ちこぼれていて恥ずかしいという気持ちを抱いていたそうです。
そんな時に「息子さん明治大学に入れたらええがな!」という甘い誘惑を受け、「やっと父親らしいことをしてあげれる」と思ってしまったんだとか・・・
替え玉受験で合格した後
替え玉受験で合格通知が届きますが、2ヵ月後に明治大学から呼ばれます。大学側も気づいていたようで、替え玉受験がバレてしまいます。
ちなみに替え玉受験を斡旋していた組織があったようで、これまでに約30名近くもの替え玉受験者が摘発されます。
マスコミ等への対応
なべおさむさんは謝罪会見を開いたものの、謝罪の言葉は出ず、自分は悪くないという態度をとってしまいます。世間的に炎上してしまい、仕事をすべて失ってしまう結果に。
これまであったレギュラーも失い、1億円近くあった年収も0円になってしまいます。
結果、その2週間後に再度謝罪会見を行ったものの、後の祭りでした。そこでなべやかんさんは、「謝罪はボヤのうち!」と言い切ります。
番組に出ていた関根勤さんも、悪いことをしてしまったら、「大げさに下から謝った方が静まる」と話していましたw
嫌いなことから目を背けた
なべやかんさんによると、替え玉受験の原因は、息子への愛情の注ぎ方を間違えた父親と、すべてを親任せにしていた自分が悪かったと振り返っています。
そこで、なべやかんさんが子供の頃にダメだと感じたことを挙げていました。
嫌なことからすぐ逃げる
特に嫌いな勉強から逃げていたそうです。勉強せずに部屋にこもって、粘土でものづくりをしていたんだとか。父親からも逃げていたようです。
優越感に浸る
自分よりも成績の悪い人を探して、優越感に浸ったそうです。
事件後に父親が後悔したこと
父親が事件後に、浪人時代に言ってあげればよかったという一言が印象的でした。「大学だけが人生じゃない」。
この言葉でなべやかんさんは、ようやく「嫌な事から逃げずに、現実と向き合っていればよかった・・・」と腑に落ちたそうです。
私もそうですが、どんなに周りから言われても、自分が気づかなかったり・納得しないと腑に落ちないですよね?
今回の替え玉受験は悪いことですが、この事件をきかっけに、ようやく現実と向き合うことの大切さを知ることができたそうです。
なべ家を救ってくれた存在
なべやかんさんと言えば、たけし軍団の一員です。ビートたけしさんが、やかんさんを預かってくれたそうです。
初めは月収5万円で、水中もぐら叩き、何度もバンジージャンプさせられるなどいろいろあったようですが、今思うと根性をつけるために必要であり、更生施設でもあったと語っています。
ビートたけしさんから、「たけし軍団は死ぬより辛いよ、辛すぎて死ぬこともわすれちゃうよ」と、優しい言葉をかけてもらったそうです。
ただ、「このままでは死ぬ」と本気で思ったそうで、体を鍛えた結果、パワーリフティングの全日本選手権で3回優勝したそうです。
まとめ
なべやかんさんも言ってましたが、子ども時代は嫌な事から逃げたうえに、自分で考えることなく・親にすべてを任せてしまったのが悪かったと反省しています。
確かに決断を人に任せると楽ですよね?
結果が良ければ感謝すればいいですし、悪ければ決断を任せた人に責任をなすりつける・・・
ただし、そういう事を繰り返していると、いつまで経っても自分の人生ではないですし、本当の意味で生きていると呼べないかもしれません。
そう考えると、悪い出来事というのは、このままじゃダメな自分を変えてくれるスパイスになるのかもしれませんね。
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